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ダムは油田だ [日本]

ここ約半世紀、沢山の日本人が海外に行くようになりました。

他国に行けば、どうしても何かと自国と比較したくなります。

ですので、以下のような考察に、大いに共感する諸兄も多いと思います。

私なども全くその通りだと=日本は資源国だと身にしていました。

エネルギー資源としても、(ネット記事は鵜呑みにはできないので)そうかも知れないが、たんに<水>と考えても、こんなに綺麗な軟水が、こんなに豊富に一年中ある国を、私はほかに知らない。







日本のエネルギー問題は「地形」で解ける ダムは先人の犠牲の上に立つ「人工の油田」だ

(↓URL)


http://www.msn.com/ja-jp/money/news/%e6%97%a5%e6%9c%ac%e3%81%ae%e3%82%a8%e3%83%8d%e3%83%ab%e3%82%ae%e3%83%bc%e5%95%8f%e9%a1%8c%e3%81%af%ef%bd%a2%e5%9c%b0%e5%bd%a2%ef%bd%a3%e3%81%a7%e8%a7%a3%e3%81%91%e3%82%8b-%e3%83%80%e3%83%a0%e3%81%af%e5%85%88%e4%ba%ba%e3%81%ae%e7%8a%a0%e7%89%b2%e3%81%ae%e4%b8%8a%e3%81%ab%e7%ab%8b%e3%81%a4%ef%bd%a2%e4%ba%ba%e5%b7%a5%e3%81%ae%e6%b2%b9%e7%94%b0%ef%bd%a3%e3%81%a0/ar-AAikS95?ocid=TSHDHP




水力発電というと、一時代前の開発しつくされた電力源というイメージが強いだろう。確かに、今後、新規の巨大ダムが建設される見込みはなく、水力発電の総発電量に締める割合は10%足らずにすぎない。  しかし、国土交通省で数々のダム建設に携わってきた竹村公太郎氏(元同省河川局長)によると、既存ダムの活用で、新規の巨大電力を生み出すことが可能であるという。既存ダムの潜在能力を発揮させれば、現在の2~3倍の水力発電量を確保することができるというのだ。  資源安で危機感は薄らいでいるものの、歴史的に見ればエネルギー問題がつねに日本の国運を左右してきた。今後は、二酸化炭素削減の必要もあり、化石エネルギーへの依存を見直していかざるを得ない。3.11以来、原発稼動には高いハードルが横たわっている。そうした中、安定したエネルギー源として水力発電量の比率を高めることの意義は大きい。  前回、前々回に続き、日本のエネルギー問題解決のカギを握る「純国産」再生エネルギーの隠れた可能性について、『水力発電が日本を救う』を上梓した竹村氏が解説する。 日本のダムは「大油田」  私は、長年ダムに関わってきた「ダム屋」である。だからだろう、いつも、ダムを見るたびにこう思う。もったいない、と。  ダム屋の目からは、ダムに貯められた雨水は石油に等しいもの、ダム湖は国産の油田のように見える。しかも、このエネルギー資源は、ダム湖に雨が貯まれば貯まるほど増え、まるで魔法のように枯れることがない。この感覚は、ダム屋以外の方にはちょっと理解しがたいかもしれない。  ただし、雨ならば何でも石油と同じわけではない。高い山、大量の雨、そして川をせき止めるダム。この3つがそろったときにだけ、水は石油になる。なかなか、3つの条件はそろわない。ところが、現在の日本には3つがそろっている。この日本に暮らす私たちは非常に幸運なのである。それなのに、前回、前々回で述べてきたように、ダムに水を貯めないという現実がある。  もっともっと貯めればいいのに……。日本はエネルギーを求めているのに、このダムに、なぜ、もっと水を貯めないのだ。石油にも等しいエネルギー源となるダム湖の水を、満々とたたえないのか……。それで、私はもったいない、と嘆いてしまうのだ。  私と同様、日本の山に降る雨が莫大なエネルギー資源となると見抜いていた人がいる。今から1世紀以上前の明治31年(1898年)、来日した米国のグラハム・ベルである。ベルはこういっていた。  「日本の豊かな水資源はエネルギーになる」  ベルといえば、電話の発明で知られる科学者だが、実は、地質学者でもあった。来日した頃は米国の地質学会の会長であり、一流の科学雑誌である『ナショナル ジオグラフィック』の編集責任者だった。ベルは、地質学の知見が深かったから、日本には石炭や石油などの埋蔵化石燃料資源が乏しいことはわかっていたのではないだろうか。それなのに、なぜ、「エネルギーが豊富だ」と言ったのか。  それは、彼が日本を実際に訪れ、風土をじかに見たからだ。日本にやってきたベルは、山の多い国土と雨の多い気候であることを確認した。そこでこう結論したのである。  「日本は雨が多い。この雨が豊富なエネルギーをもたらす」と。




アジアモンスーンの北限


 当時のベルの発言を、『ナショナル ジオグラフィック』からご紹介しよう。「日本を訪れて気がついたのは、川が多く、水資源に恵まれているということだ。この豊富な水資源を利用して、電気をエネルギー源とした経済発展が可能だろう。電気で自動車を動かす、蒸気機関を電気で置き換え、生産活動を電気で行うことも可能かもしれない。日本は恵まれた環境を利用して、将来さらに大きな成長を遂げる可能性がある」  つまりベルは、日本が水力発電に適していることを見抜いていたのだ。  地理学の専門家だった彼が注目したのは、まず、気候だった。日本は地球の気候帯から見ると、アジアモンスーン地帯の北限に位置する。モンスーンとは季節風のことだが、アジアの季節風帯は非常に長く伸びており、はるかインド洋から続いている。帯状の地域には、低気圧が非常に発生しやすく、雨が多いという特徴があり、その北端に当たる日本もまた、多雨地域であることをベルは知っていた。  さらに、日本の周囲が海であることも、多雨をもたらす。海に囲まれているということは、どの方向から風が吹いても、大きな雨が降るからだ。夏には太平洋側から台風や低気圧がやって来て、海からの雲を伴い、大きな雨を降らせる。冬にはシベリアから北風が来るが、この北風は日本海を通り、大量の水蒸気を含む。そして、日本の山に風がぶつかったときに冷たい雨や雪となる。冬に日本海側に降る雪は、そのまま水の貯蔵庫なのである。このように、海に囲まれているという地理的な条件も、多雨をもたらすわけだ。  アジアモンスーンの北限にあり、さらに、海に囲まれている。この2つの条件のおかげで、日本は非常に雨に恵まれている。ほとんど同じ緯度にあっても、ユーラシア大陸の国々では、日本のように降水量は多くない。つまり、日本列島は、特別に幸運な列島だと言える。  ベルは地理学の専門家だったからこそ、日本の恵まれた気象条件を指摘したのである。  火力、水力、太陽光、風力など、現代社会ではさまざまなエネルギー源を利用しているが、どれも太陽エネルギーを元にしているという意味では共通している。だが、エネルギーの種類によって、使い勝手の良し悪しはかなり違う。雨のエネルギーの場合、基本的にあまり使い勝手はよくない。雨のエネルギーには、太陽光や風力など、ほかの再生可能エネルギーと共通した弱点があるからだ。  それは、エネルギーが薄いことである。石油や石炭、天然ガスなどの化石燃料は、少量を燃やすだけで大きなエネルギーが得られるので大変に使い勝手がよい。また、資源のある場所の地面を掘るだけで簡単に手に入れられるし、遠方に運ぶのにも便利だ。化石燃料がこんなに使いやすい理由は、エネルギーの密度が高いからである。小さな体積に大きなエネルギーが蓄えられている。化石燃料はエネルギーが濃いので使いやすいわけだ。  だが、太陽光や風力になると、使い勝手がガクンと下がる。たとえば、太陽光発電によって石油や石炭と同じだけの電力を得ようとすれば、広大な面積に太陽光発電パネルを敷き詰めなければならなくなる。太陽のエネルギーの絶対量は非常に大きいが、単位面積当たりのエネルギーが小さい。つまり、薄いエネルギーなのだ。その太陽のエネルギーに由来する光や風というエネルギー源もまた、圧倒的に単位面積当たりのエネルギーの密度が低く、薄いのである。  雨のエネルギーにも、同じ弱点がある。エネルギーの密度が非常に低く、一つひとつの雨粒のエネルギーはとても小さい。たった1滴の雨では、ほとんど人間の役には立たない。役立つ形にするためには、雨の粒を莫大な数だけ集める必要がある。つまり、エネルギーを集中して濃くする工夫がないと、雨はエネルギーとして使いものにならない。効率よくエネルギーを集めるためには、より高い位置で、より多くの雨を集めるほど有利になる。だが、そんな装置を人間の手で作ろうとすれば大変な手間と知恵が必要になるし、装置を用意するのにエネルギーも必要となってくる。  ところが、日本の場合、これを「地形」が解決してくれるのだ。



山は雨のエネルギーを集める装置 


密度の低いエネルギーを利用するには、集中させる工夫が必要である。太陽光発電の場合なら、太陽光パネルをどれだけ広く設置できるかが重要だし、風力発電なら、より風の強いポイントにより多くの風車を設置せねばならない。  ところが、雨のエネルギーでは、幸いなことに、ある自然条件がエネルギーの集中を手助けしてくれる。  その自然条件とは、山である。  たとえば、東京23区にいくら大量の雨が降ったところで、海抜が低すぎてエネルギーにならない。ところが、山に降った雨は自然と谷へと集まってくる。関東の場合なら、神奈川県の丹沢山地や東京都の奥多摩に降る雨は谷に集まり、相模川や多摩川の水となって流れ落ちる。水源地域の谷には大量の雨が自然に集められていく。しかも、水源地域は海抜が高い。谷に集まった水の位置エネルギーは非常に大きい。  このように、日本の山岳地帯は、アジアモンスーンによる大量の雨を、エネルギーの大きい位置で効率よく集めてくれる装置となっている。明治期に来日したベルが「日本はエネルギーが豊かだ」と言ったとき、彼が多雨と共に注目していたのは、日本の山だった。日本列島を平均すると、約7割が山なのだが、この地形が、雨をエネルギーに換えるのに有利な条件となる。  多雨と山岳地帯。  こうした日本の気象と地形という地理条件を確かめたからこそ、グラハム・ベルは「日本には豊富なエネルギーがある」と断言したのだ。



大きな位置エネルギーと大量の水を同時に集める装置



 多雨と山岳地帯。この2つは自然が与えてくれた利点である。だが、このままでは雨のエネルギーは効率よく電力に換わらない。位置エネルギーを電力に換えるときには、川の高低差が大きいほど効率がいいし、水の量が多いほど効率が良くなる。  ところが、自然のままの川には、高低差があり、水の量が多いという2つの条件を、同時に満たすエリアがないのだ。山に降る雨は、山間の谷へと流れ込む。その一つひとつは細い渓流に過ぎず、それらが集まって次第に大きな川になり、山岳地帯から平野部へと流れ落ちていく。山岳地帯を流れているときには、流域の高低差が大きいが、流れる水の量が少ない。もし、山岳部の川の位置エネルギーを満遍なく電力に換えようとすれば、多数ある渓流のすべてに、いくつも小さな発電施設を設ける必要がある。  逆に、平野部を流れるときは、川の水量は多いが、高低差は小さい。落差が大きい渓流部を流れ落ちてしまった後では、ほとんどの位置エネルギーは失われているからだ。発電施設は少なくて済むが、肝心のエネルギーが減っており、発電力が落ちてしまう。  つまり、自然に流れている川では、水の位置エネルギーと水の量を効率よく電力に換えることができない。  もうひとつ、川の水には問題がある。川の水は年間を通して同じ水量で流れてくれない。雨が降るときと日照りが続くときとでは、川の水量はまったく異なる。自然の川の水の流れは、時系列で見るとバランスが悪く秩序がない。つまりエントロピーが大きいのだ。  ところが、山岳地帯にダムがあると、状況が一変する。  ダムにせき止められて、いくつもの渓流を流れてきた水が1カ所に集まることになる。大量の水が渓谷の大きな落差で勢いよく落下する。ダムにより、1カ所に水の位置エネルギーを集中できる。  さらに時間的変化が大きく秩序のない水の流れは、ダムに着いた瞬間におとなしくなり、静かに秩序をもって貯まっていく。つまり、ダムさえあれば、大きな位置エネルギーと、大量な水の量と、エントロピーの小さい使い勝手のよさを得ることができるのだ。




日本の近代産業の遺産 


ダムがあってこそ、日本はエネルギー資源大国となれる。  実は、雨が多くて山が多いという地理的な条件だけならば、日本だけが該当するわけではない。たとえば、インドネシアには山が多いし熱帯性の雨も非常に多い。また、温帯でもカナダなどには、山岳地帯で豊富な雨の降る地域がある。基本的には、これらの国でも水力発電は有効だといえる。  ただし、雨の多い山岳地帯という自然条件だけでは、水力発電を効率よく行えるわけではない。そこにダムという人工の構造物を造る努力をしなければならない。  山、雨、そしてダム。  日本はこの3つの条件を満たしている。その日本は、水力のエネルギーに非常に恵まれていることを、私たちはもっと自覚してもいいだろう。  なぜなら、ダムは非常に大きな対価を払って獲得した物であり、しかも、これからの時代にはなかなか手に入らないものだからだ。川の水源部にダムを作ると、谷には膨大な水が貯まる。それまで渓谷だった場所が湖になり、すべてが水没する。森が水没し生態系が変わってしまう。そこに住んでいた人々の生活も沈む。村の長い歴史が家屋もろとも水の底に沈み、住んでいた人々の大切な思い出も消えてしまう。  こうした巨大な破壊と引き換えに、電気エネルギーを得るという仕組みがダムである。かつての急激な近代化の過程では、巨大ダム開発がいかに多くの人々に犠牲を強いたのかを現在ほど強く認識していなかった。そのため、こうしたいわばハイリスク・ハイリターンの開発が可能だった。  しかし現代では、多くの人々の犠牲を前提にした巨大ダム、自然環境に大きなインパクトを与える巨大ダムを造るのは難しい。世界的にも同じことが言えるであろう。  だからこそ、過去の大きな遺産として全国いたるところにダムを持っている日本は、水力エネルギーという意味では、例外といっていいほど恵まれた国だと思うのである。  だが、この財産は決して、ただの幸運ではないのだ。私たちの先人が、すでに大きな犠牲を払ってくれていたからこそ、こうした巨大なエネルギー資産がある。この資産は、前回述べたように、半永久的に使用することができる。だからこそ、この遺産を無駄にするのは「もったいない」と私には思われてならないのだ。




日本全国がダムの恩恵を受けられる


 日本列島はとても狭い。しかも、その7割が山地で、日本列島の真ん中には脊梁山脈がずっと走っている。平野部はわずか3割に過ぎず、そこは洪水の恐れのある湿地帯となっている。日本人は洪水と戦いながら、住宅地、農地や工業用地などの土地を確保するのにも大変に苦労してきた。  だが、視点を水力エネルギーという面に移して、同じ日本列島を眺めてみると、まったく違う風景が見えてくる。日本列島を縦断している脊梁山脈は、その両脇にあたる日本海側にも太平洋側にもほぼ平等に川を流す結果となっている。そして、その川の流域には狭い沖積平野があり、ほぼすべてに都市が形成されている。そして、川には、近代から高度成長期を中心に建設されてきたダムが、これも全国的にほぼまんべんなく存在している。  つまり、日本全国のすべての都市には川が流れており、しかも、上流にダムを備えていることになるのだ。言い換えれば、このダムのすべてを水力発電に生かすことで、水力の恩恵を、日本全国各地が公平に満遍なく受けることが可能となっているのだ。日本列島は水のエネルギー列島である、と言い切れる理由がここにある。  日本列島は水のエネルギー列島と言いながら、その制約もある。全国に多数ある水力発電所のほとんどは、それほど巨大なものではなく、規模が中小である。もちろんこの中小水力発電所では、東京や大阪など巨大都市の電力需要を賄えきれない。大都市を維持していくためには、どうしても発電出力の大きい発電所が必要となる。  つまり、東京や大阪、名古屋などの大都市圏は、水力発電だけでは無理がある。かつてのように再び、黒部ダム級の巨大ダムを建設して大都市圏に電力を送るという手法は、これまで述べてきたように無理である。大都市は火力発電などほかの電力供給に支えられていかざるをえない。  しかし、全国各地の中小都市に向けた電力としては、水力発電はうってつけだ。電力需要が小さいので、その都市を流れる川のダムからの電力でかなりの部分が賄えてしまう。また、地元の川で生まれる電力なので、送電距離が短くなり送電のロスが少ない。しかも水力発電は、24時間安定して発電していくことが可能である。いま話題の水素エネルギー、燃料電池などと組み合わせていくことも容易である。  これからの時代、地方の都市は、川の水力による電力を中心として、風力や太陽光、地熱など、その都市に合った再生可能型の電力を活かす道を模索することになるであろう。  世界的にも人類文明のエネルギーは、再生可能エネルギーへとシフトしてゆく。全国に山があり川があり、そしてダムがあるゆえに、無限に国産エネルギーの水力電力をタダで確保できる幸福を、50年後、100年後の日本人たちは、必ず、感じることとなる。








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